「PRIVATE HOUSE 生きられた家」の開催まで一週間を切りました。この生きられた家に小さい頃に住んでいたという友人の投稿を目にしていなければ、このイベントは起こらなかったでしょう。その投稿は、家を取り壊すことになったのだけど、ひいおばあちゃんとおばあちゃんが残した置き土産をもらっていただけませんか、という内容でした。
どうにかしてもう一度光を当てたいという妄想を抱え、取り急ぎ作った展示企画書を持って、友人の家を訪問したのは昨年12月。その友人、小島美緒さんとは、みおさんが事務局長をしているNGOに、私がボランティアとして参加したことで知り合いました。10年と少し前のことです。
展覧会開催の前に参加アーティストと一緒に何度か下見に行きましたが、必ず聞かれることがありました。それは「どういう友人なんですか」です。その度に私は上述のような簡単な説明をするのですが、本当はもっと言いたいことがありました。だけど話し始めたらキリがない笑。だから、今日はそのNGOで体験したことを書いてみます。
そもそもなぜボランティアだったのかと言えば、私が失職して次の仕事がなかなか決まらなかったことに起因します。当時の私はルサンチマンの塊でした。その塊を私から日々ぶつけられていた夫から言われた一言「ボランティアでもなんでもいいから何かすれば(怒)」で目が覚め、ボランティアを募集しているNGOを探しました。そして特定非営利活動法人エイズ孤児支援NGO・PLAS(プラス)という団体を知り、面接に行くことに。初めて訪れたプラスの事務所でウガンダにいるスタッフが撮影した写真を目にした時、写真の中の空にびっくりしました。この人たちは私が見たことがないような空を見ているんだなと思いました。そして、ここで新しい経験をしたいと思い、ボランティアとして活動することに。正直、NGOは畑違いすぎると思いましたが、その後私はルサンチマンから解放されていきました。
当時のプラスは設立3年を迎えたばかりで、職員は皆20代、大学生スタッフが多くいました。これが私にとっては、よかったのかもしれません。というのは、かつて私が大学生だった時に仙台の学生たちで運営していた仙台コミュニケーション企画(仙コミ)でもこうだったなと思い出すこともあったから。そして大学生たちの率直な意見を聞く度に、こういう意見を躊躇せずにこんな風に言えるなんて素敵だなあと思えました。
当初はウェブサイト制作をお手伝いしたくて、プラスに関わりました。が、そのほかにも、チャリティーパーティなどのイベントの運営、イベントの撮影、社会人ボランティアの組織づくり、物販サイトの運営や撮影や組織づくり、マーケティングなど、多くのことに10年近く関わらせてもらいました。その中には全うする事なく消えたものもいくつもありますが、一言で言って面白かった。大学生、社会人、職員という垣根を越えて付き合えました。中でもリアルなイベントでの設営では、仙コミ時代にやったアート展の設営の時のバタバタ感を体感しました。だから、プラスでバタバタ感を共有していた仲間と今回別な形でバタバタしていて楽しいというか、そのバタバタでイベントに集中しようというマインドに戻るし、それは私の大学時代にも繋がっていたのですね。
今日5月7日は世界エイズ孤児デーなのですが、この日に合わせてプラスではリアルなイベントをいくつか展開していました。そのせいか、およそ10年くらい前のイベント直前のことを思い出しています。当時あまり知られていなかった、エイズ孤児という存在を知ってもらう機会を自分たちで作り、その場に来た人たちと時間を共有すること。これこそ、後藤繁雄さんの言う『コトを起こす』だったのでした。
後藤さんのSUPERSCHOOL online A&Eでは、受講生が取り組むMY PROJECTに後藤さんからアドバイスを伺う機会があります。いくつかのアドバイスの中で、『コトを起こす』が今強く思い出されています。私は2年前はAirTというTシャツコミュニティでイベントを開催していました。『コトを起こす』を後藤さんから聞いたのは、その頃でした。翌年からアート作品の展示というイベントにシフトしたようにも見えるかもしれません。が、どちらも、その根本はリアルな場所でのイベントです。コトを起こすこと。そしてその場に来た人たちと時間を共有すること。それに付け加えるならば、記憶が蓄積された場所にこだわること。今日という日に気づけてよかったです。