生きられた家での在廊日記(2022.5.22)

生きられた家での在廊日記(2022.5.22)

2022年5月24日

5月22日(はれ)

いつも練馬駅に着いてから昼食を食べてからこちらへ向かう。今日は練馬駅前のドトールに入った。ドトールに入ると初心に戻るような気がする。というのは、三月半ばにアーティスト下見で待ち合わせしたのがドトール。私たちはオンライン講座の受講生同士なので、ちゃんと話すのは初めてという関係性の場合もある。また展覧会のタイトルが決まらず、別な下見後に作間さんとあれこれ二時間くらい話し合ったのもドトールだった。あの頃は一体どうなるのだろうと見えないものに向かって手さぐりで何人かで確認しながら歩んでいたような気がする。それが初心。

初心に戻る、というか振り返られるのは、ピアノ室に設置した伊東ケイスケさんのフォトンもそうだ。作品のタイトルという意味だけど。Photonは光の粒子のことだが、日本語ではコウシと呼ばれ、漢字で光子と書く。この家を建てた友人のひいおばあちゃんの名前がミツコなのだが、漢字が光子なのだ!

だからピアノ室に入ると、初めてこの家を訪れ、ひいおばあちゃんやおばあちゃんの話を伺った時のことを思い出す。後藤さんの作品同様にフォトンもある種の降霊会のようにも、私には思える。

ひいおばあちゃん繋がりで言えば、このご夫妻は練馬の前は神田で旅館を営んでいた。そういう繋がりからなのか、練馬に来てからも人をたくさん招いてご馳走を振舞うこともあったそうだ。家には黒いお膳が残っている。このお膳でもてなしていたのだろうか。

戦前において人をもてなすのは、客だけではなく、出生前の兵士たちに対しても行われていた。私の父もそうだった。父の場合は少年飛行学校在学中に終戦を迎えたが。この家ではどうだったのだろう。

そこに反応したアーティストが橋村豊さんだ。戦禍に生きた家に戦争遺跡の写真を展示することができた。二階の書斎に原寸大の回天(人間魚雷)の写真を設置し、来場者は一人ずつその前に置かれた椅子に座って回転と対峙する。会場に置いた感想ノートやSNSの投稿にそれぞれの思いが表現されている。ある投稿を拝見して、私は「異」と「外」の間の隔たりについて気づかされた。それはここには書かないが。

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  PRIVATE HOUSE生きられた家 85年の歴史を持つ日本家屋にて開催するコンテンポラリーアートのグループ展。展示の会場となるのは、昭和12年に建てられ…
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