展示期間中は、家主のみおさんと今日は誰それが来るなど連絡を取り合っていて、みおさんの子どもたちも頻繁に来ている。アートに子どもが触れる身近な場となっていると、嬉しい声を聞く。
子どもの頃の原体験って忘れられない、ずっと覚えているのではないか、そんなやり取りをみおさんとしていて思い出したのが、バットマンのイベント。
原体験
バットマンと行ってもディム・バートンなどの映画の方ではない。60年代のTVドラマ版だ。子どもの頃バットマンが大好きで、豊島園?かどこかの特設会場でバットマンのイベントがあって見に行ったことが忘れられない。
マジックミラーに映った自分が大きく見えて驚き、360度スクリーンにバットモービルが右から左にガーッと走っていくのは、目の前に本物のバットモービルが走り去ったような気がした。360度のスクリーンだったのか本当のところはわからないが、私の頭の中ではそう認識されている。今で言えば、スマホで目の前にAR彫刻が出てきたのと同じような衝撃。虚構なのだけどリアル。
異世界
みおさんが、私の個人的体験を普遍的な言葉に変換してくれた。
日常の延長に異次元の入り口を垣間見れそう。そういう意味でも、生きられた家の展示ってどこか懐かしい家のあちこちに異世界と交信できる狭間があってそれが子どもたちに強い印象を残すのかもしれないですね。
一方では、楠さんや佐藤さんの作品のように、風景や場に柔らかに溶け込んだ作品もあって。だから疲れずに、心地よく浸れる展覧会になっていて。
この続きに、としこさんのキュレーションさすがです。とあったのだが、それをどう受け止めていいのかわからなかった。
キュレーション
私はキュレーションをしたのだろうか?
そもそもキュレーションとはなんなのだろうか?
今回はこの家があってこその展示だ。そして私とみおさんが友人だったということも大きな要素だ。
私がやったことは、みおさんとの関係性を、家のことを、住み継いできたご家族のことをアーティストに伝えただけだ。そして、下見に付き合っただけだ。オンラインスクールで出会った仲間なので展覧会などのイベント開催の時しか会っていない。だからグループで共有しているページに何だかんだ投稿しただけだ。アーティストそれぞれにメッセージを送ったりしただけだ(実は送ったのは全員同じ内容だったりするのだけど)。
この一連の行動は、みおさんたちとNGOのイベントでやったこととさほど変わらない。10年ほどボランティアとしてNGOでイベント運営、組織づくりをしてきたことをやったまでだ。もしかしたらその時よりも少し丁寧にやったかもしれないが。それはなぜだろう?私がいなければこのイベントは成り立たないと思ったからだ。NGOのイベントは私がいなくても成立したはずだ。
少なくとも、そのような自覚を持つことがキュレーションの第一歩なのかもしれない。
そして、子どもの頃にバットマンのイベントで私がびっくりしたように、人が驚くような要素を散りばめたい。これが、私らしさなのかと思う。
※上の画像は、昔のバットマンのGoogle画像検索結果